――失われた8回と、ひとつのボードゲーム。

すべては、小田原のある喫茶店から始まった。

中学からの腐れ縁。

気心の知れた仲間たちとの、年始旅行。

大人になっても、集まる理由はさほど変わらない。
くだらない話をして、笑って、たまに真面目な話をする。

その日も、そんな何気ない時間だった。

会話の中で、ふと話題に上がった。

「ボードゲーム、作ろうぜ」

面白い。

自分たちで遊ぶゲームを、自分たちで作る。
世の中にないものを、自分たちの手で生み出す。

そういうのも、きっと面白い。

問題は、何を作るかだった。

「すけち、何かいい案ある?」

何気ない問いかけだった。

深い意味なんて、なかったのだと思う。

けれど、その瞬間。

脳裏に、四文字が浮かんだ。

だつもー。

なぜ、その言葉だったのか。

なぜ、その瞬間だったのか。

今となっては、よくわからない。

ただ、何かがつながった気がした。

ずっと心の奥底に沈んでいた、あの記憶。

忘れたつもりでいた、あの夏の出来事。

それが、ようやく別の形を与えられたような気がした。

昇華された。

そう思った。

いや。

まだ、昇華されてはいなかった。

物語は、数年前の夏にさかのぼる。

――モテたい男の、夏。

あの頃、私はモテたかった。

理由なんて、それで十分だった。

もっとカッコよくなりたい。
もっと魅力的になりたい。
誰かに選ばれる男になりたい。

そのためにできることがあるなら、やってみようと思った。

髪型を整える。
服装に気を遣う。
そして、脱毛する。

清潔感。

いつからだろうか。

それは、男が身につけるべき新たな装備のようになっていた。

毛がない方がいい。
ツルツルの肌がいい。
その方が、きっとモテる。

私は、その流れに乗った。

脱毛サロンを契約した。

全15回。

15回も通えば、きっと何かが変わる。

鏡の向こうにいる自分も。
周囲からの評価も。
ひょっとしたら、人生だって。

今思えば、少しばかり期待しすぎていたのかもしれない。

それでも、当時の私は本気だった。

モテるために、金を払った。

モテるために、時間を使った。

モテるために、痛みに耐える覚悟を決めた。

未来は明るい。

少なくとも、契約書にサインしたあの日の私は、そう信じていた。

ーー七度目のサロン。

15回契約のうち、7回目。

折り返し地点にも届いていない。

それでも、私は通い続けていた。

残り8回。

その先に、理想の自分が待っている。

……はずだった。

ある日、私は知ることになる。

通っていた脱毛サロンが、倒産したことを。

倒産。

その二文字を見たとき、何が起きたのか、すぐには理解できなかった。

倒産という言葉は知っていた。

ニュースで聞く。
新聞で見る。
誰かの会社がなくなった、という話。

世の中には、そういうこともあるのだろう。

けれど、それはいつだって、どこか遠い世界の出来事だった。

自分とは関係のない場所で起こる、他人事。

まさか、自分が契約したサービスが。
自分が金を払った未来が。
自分が通うはずだった場所が。

なくなるなんて。

ただ、毛をなくしたかっただけなのに。

それなのに。

世界は、こちらの都合などお構いなしに、あっさりと扉を閉ざした。

残されたのは、15回の契約と、7回の施術履歴。

そして。

失われた8回。

あの8回は、どこへ行ったのだろう。

私の毛と一緒に、消えてしまったのだろうか。

いや、毛はまだ生えてくる。

なんということだ。

金を払ったのに、毛は生える。

サロンはない。

残りの施術もない。

そして、モテたかどうかも、よくわからない。

私は、ひとつの真実を知った。

脱毛サロンも、倒産する。

当たり前のことだ。

あまりにも当たり前のことだった。

でも、人は自分の身に降りかかるまで、その当たり前に気づけない。

世の中には、知らない闇がある。

そして、その闇は、案外ツルツルの肌のすぐそばに潜んでいる。

ーー昇華という名の、復讐。

時は戻る。

小田原の喫茶店。

目の前には、仲間たち。

何気ない会話。

そして、頭の中に浮かんだ四文字。

だつもー。

あの夏の記憶が、ゆっくりと輪郭を取り戻していた。

失われた8回。

あのときの悔しさ。

やり場のない感情。

笑い話にするには、少しばかり苦い。

かといって、いつまでも引きずるほどのことでもない。

だからこそ、厄介だった。

この感情は、どこへ持っていけばいいのだろう。

忘れるのか。

なかったことにするのか。

いや。

昇華するのだ。

悲劇を、物語に。

損失を、創作に。

そして、個人的な無念を、みんなで遊べるボードゲームに。

考えてみれば、悪くない話じゃないか。

脱毛という、あまりにも身近で、あまりにも個人的なテーマ。

そこに、ゲームとしての可能性があるかもしれない。

毛がある方がいいのか。
ない方がいいのか。

清潔感とは何なのか。
モテるとは、いったい何なのか。

そもそも、我々は何のために毛をなくそうとしているのか。

考えれば考えるほど、どうでもいい。

だが、どうでもいいことを本気で考えるのは、案外楽しい。

そして、どうでもいいことに本気になれるのが、ボードゲームのいいところでもある。

こうして、脱毛系ボードゲーム『だつもー』の構想が生まれた。

ひとりの男が、モテたくて始めた脱毛。

その途中で訪れた、予期せぬ終焉。

そして数年後。

失われた8回は、ひとつのアイデアとなって帰ってきた。

あの夏に終わったはずの物語が、別の形で再び動き始めたのだ。

……もっとも。

本当に昇華できたのかどうかは、まだわからない。

これは復讐なのか。

供養なのか。

それとも、単なる悪ふざけなのか。

おそらく、その全部なのだろう。

ーー毛は抜いても、物語は残る。

ひとつのアイデアが生まれた。

それだけだった。

まだ、ゲームはない。

完成したルールもない。

キャラクターだって、これからだ。

目の前にあるのは、四文字だけ。

だつもー。

けれど、何かが始まるときは、きっとそんなものなのだと思う。

最初から壮大な計画があったわけではない。

世界を変えようとしたわけでもない。

ただ、モテたかった。

そして、脱毛サロンが倒産した。

その経験を、何か面白いものに変えられないかと思った。

それだけのことだ。

それだけのことが、いつの間にか、ひとつの作品の始まりになっていた。

このアイデアが、やがてゲームとして形になっていく。

男たちが生まれ、ルールが生まれ、物語が生まれる。

そして、頭の中に浮かんだだけのキャラクターたちが、やがてすばらしい絵へと姿を変えていくことになる。

今日は最後にだつもー初期デザインを貼って終わりにしよう。


この絵がどう変化していくのかをお楽しみに。